夏に早いけど、リアル怪談昔話

昔、オオカミって大神のことなんだあ!と気が付き感動した私は、自然破壊と同時に絶滅したオオカミと大神、また今は、本当の神が封殺?(当時は何だかわからないけど、神が意図的に謀略によって押し込められ殺されているというイメージがあって苦しい気持ちがありました)されていると言う感覚が苦しいくらいにあって、なんとも言えない、口惜しさと、でも、なんだか、本当には絶滅していない気がして、ある日突然復活して、オオカミがこの世に姿を表わす日が来るのではないかという予想だか、予感だか、予定のようなものを感じていまいた。それは、その時は大神の復活の日でもあるのです。もうすぐ、真実が顔を出すのですよね。。

ところで、伊勢白山道の「思い出話」を見て、昔自分の身に起こった、昔話が思いだされました。

その女性は、大変野心の強い方で、社会的な実力も持たれた医師でした。
生まれながらの、霊能者でした。
その頃、私がお世話をしていた、霊能者さんのお弟子さんして入られた方でした。私は、入られた時から、なんとなく、この女性は自分の信者獲得のために入ってきたのかな、という感じをもっていました。後で聞くと、講習の後、生徒さん皆に先生はまるでわかっていないとか、ここがオカシイ、ここがダメと悪くこけおろしていたそうです。表面では一番弟子のように慕う人でいろいろと自分の社会的特権など駆使して世話係のような人でした、恩着せがましいところは随所にありましたけど、その先生は全く気付かず信頼しきっていましたが。
彼女の野望にとって私は眼の上のこぶでした。それはずっと感じていました。その女性は、漫画の陰陽師に出てくるような(実際はあれよりグロテスクでおぞましい)、地獄の魑魅魍魎を使役する人でした。
ある日、電気を消して床に入り、さあ寝ようと眼をつぶると、私の身体を8本くらい長い真っ黒い蟹足みたいな足をもち、体は口に気味の悪い表現するのもおぞましい、姿の大きな、何だったんだろう?という格好の化け物が、私に覆いかぶさりつき私の体をしっかりその長い脚ではさみこんでいました。私の胸にその異形の顔がありました。
私は、誰に教わったわけでもないのですが、別段なんの考えも動揺も思い浮かばず恐怖も動かず、感情も起らず、坦々と、「元の処へお帰り」とただ言いました。そうすると、さっと、光が開かれ、その光のその中に、例の私を煙たく思っている彼女の顔が見えました。なるほど、と思いました。その魑魅魍魎は彼女にそのまま帰ったのでしょう。2,3日後、彼女から手紙が届きました。内容は、その先生の講習に対する非難と、脅されている、とか、もう内容は思い出せんませんが、訴訟を起こすという内容でした。
呪詛を仕掛けたことが私に知られた、分かられた、というのが、大変な衝撃でしたでしょうね。分かる、わかられてしまうということは、能力の差がある場合、掌握されることでもあるからです。それは、仕掛けた方にとって致命傷となります。自分の呪詛を私に返されて、焦ったのでしょう。まさか、バレる解るなんて、またまさか、返されるなんて思っていなかったのでしょう。
ほっておいたらその内、手紙や手下を使った苦情も来なくなったのですが、拠点を引き払ったと言う話を最後に彼女がどうなったのかは、わかりません。
与えたものが与えられる という、寸分の狂いもなく徹頭徹尾宇宙に透徹する、法則に任せられた、因果に乗って、彼女の受け取るものが決まります。(だから、裁判所なんていらないのよ、人間の行いの結果の帳簿の清算はどこまでも消えない、かならず、収支決算するときがくる、つけのまま終わらせることはできませえん、だから、悔しがることも、また、逃げ切れた!という幻想も無い、逃げ切れません、または、何か犯罪を犯し、運悪く、逃げ切れることができた場合、たぶん二度と人間に生まれることができなくなります、)純粋な意識によって返された場合その、衝撃は確か、何倍かになるハズ。
もし、あの化け物に憑かれたままだったら、私は病気になってどうなっていたか。
私は、この霊能者の気がつかない、大きな力に守られていたんだな、と思います。もし、分かっていれば知れていたら、こんな呪詛をかけるような無謀も仕掛けてこなかったでしょうから。
ここで、ちょっと思ったのは、このような化け物は、自然発生的なものなのか、ようは人間の行いの結果の自然物なのか、魔モノ人間が神の摂理、命の仕組みを利用して造ったものなのか(造れてしまうのです、恐ろしいことに・・)、自業自得の必然の結果なのか。それで、私はどうしても女なので、このような異形の者たち、化けものたちは、元の親神に根源に帰融するのだろうか、とどうしても気になってしまうのです。神の神による神のための采配、法にのっとり、必要必然の最後、すべては善しの内で、何の気がかりを持つ必要などないのですけれど。。。人間には不可知、神の味噌汁~具は豆腐(十(トウ)・二(フ)!10はアマテラスの神霊数、それが二つであるというのは、大変凄いことなのです)味噌は赤だし、ならばしかたありません。でも、いつも、私はそこで、ひっかかる。。。

だけど、何が、どうでも、あとはお任せ、先祖供養と感謝想起はそんなもろもろ罪穢れを凌駕して、歓喜に帰す。
やればわかる。

この記事へのコメント

気持ち玉有難う御座いました
2009年09月05日 23:50
気持ち玉いただきありがとうございます。少し驚いてます^^;
こんな昔の記事を閲覧してくださって、ありがとう御座位ます。
こんなこと書いてたのか・・とどきどきしてしまいました。
文中の「裁判なんていらない」発言は訂正ですね。
正しく裁かれた裁かれなかった、があったとしても、それらも全て含めての収支決算となるから。
生きている内に、もし、罪を犯したと思ったことがあったなら、今生生きているうちに、受ける罰は潔く受け取り、誠心誠意善行して上書き修正して、おかないとね。
「潔良ければ罪は無し」~正審より~

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